2026/06/20 09:31

先日、テレビで足の健康をテーマにした番組を見かけました。


そのプログラムでは、多くの人が抱える足のトラブルの「原因」を「足裏のアーチの崩れ」とし、そのための対策やグッズが紹介されていました。


現代人の足にアーチの崩れが起きている、というのはよく耳にする話です。専門家である医師の方が解説されていたこともあり、番組の内容自体には高い説得力がありました。アーチが崩れることによって、足や身体にさまざまなトラブルが引き起こされるのも、事実なのでしょう。


しかし、画面を眺めながら、私の胸の中には一つの違和感が残りました。


「アーチの崩れは、トラブルを引き起こす『要因』ではあっても、根本的な『原因』とは言えないのではないだろうか」と。


ビジネスの世界ではよく言われることですが、目の前で起きている問題に対して、本当の「なぜ」を突き詰め、真の原因を特定しなければ、適切な対策を打つことはできません。


医療の現場においても、それは同じではないでしょうか。


アーチが崩れたことでトラブルが起きたのだとしたら、次に考えるべきは「なぜアーチが崩れてしまったのか」という、もう一歩奥にある問いのはずです。


そこを深く掘り下げずに、崩れたアーチを外側から支えるためのサポート機能付きインソールや靴をあてがうことに、私はどこか対症療法的な印象を抱いてしまいます。


もちろん、今まさに痛みや不調に悩んでいる方にとって、それらの道具が大きな助けになることを否定するつもりはありません。痛みを和らげ、日常生活を支えてくれるのであれば、上手に活用すべきだと思います。


ただ、そのサポートに頼り続けるだけで、足裏本来の力を取り戻す取り組みを行わなければどうなるでしょうか。


守られ続けた筋肉が少しずつ働きを失っていくことは、多くの人が経験的にも理解できることだと思います。


崩れてしまった土台を根本から立て直すには、リハビリや筋力トレーニングと同じように、自らの身体を使い直していく必要があります。


クッションやサポートの少ない履物を選んでみる。


ときには素足で地面を感じてみる。


私たちの身体は、長い進化の過程のなかで、地面からの刺激を受け取り、自ら支える仕組みを育んできました。そうした身体本来の働きを思い出していくことに、健やかさを取り戻すヒントが隠されているように感じます。


では、なぜこうした視点は、あまり大きく取り上げられないのでしょうか。


私はそこに、メディアという仕組みの特性も関係しているのではないかと感じています。


テレビやニュースは限られた時間や紙面の中で、多くの人に分かりやすく情報を届ける必要があります。そのため、誰にでも実践しやすく、効果を説明しやすい対策が優先的に紹介される傾向があります。


一方で、身体機能そのものを見直すようなアプローチは、効果が現れるまでに時間がかかります。さらに、人によって感じ方や結果も異なるため、どうしても扱いづらいテーマなのかもしれません。


私はその番組を批判したいわけではありません。


むしろ、私たちが健やかに生きていくためには、目にする情報をただ受け取るだけでなく、「自分にとって本当に必要なことは何だろう」と、一度立ち止まって考える視点が大切なのだと改めて感じたのです。


そして、それは今この記事を読んでくださっているあなたに対しても、同じことが言えます。


私がここで綴っている言葉も含め、世の中にあふれるあらゆる情報は、一つの側面を切り取ったものに過ぎません。


「医師が言っているから」


「メディアで話題だから」


あるいは、


「誰かが本質的だと言っているから」


その言葉だけで判断を終えてしまうのは、少しもったいない気がするのです。


縦横無尽に飛び交う情報に頭を委ねるのを、一度お休みしてみませんか。


耳に飛び込んでくる魅力的な言葉を、そのまま受け入れる前に、ほんの少しだけ立ち止まり、自分の身体の感覚で確かめてみる。


情報を選ぶ「頭」の主導権を少し手放し、大地を踏みしめる「足」の声に耳を傾けてみる。


情報の海に流されることなく、自分の足でしっかりと立つこと。


それこそが、生涯を自分の力で歩き続けるための、本当の第一歩なのかもしれません。




note

(@revinos_japan)